無人の僻地・・・
11日の日曜日午後、九谷ダム周辺を散策した後は
さらに山奥の真砂(まなご)へ向かう
古九谷大橋のすぐ手前を右折する
奥に進むにつれて道は酷くなってくる・・
以前にスポーツスターで来ようしたが途中で諦めたことがあります
冬の時期は雪深いこの地で死んだらその地で暮らす者だけで
静かに弔う事だったでしょう・・・
加賀のまちの恵み、山中漆器にまつわる札です。
山中温泉から20km奥の真砂(まなご)は今では家もまばらで過疎地となっていますが、かつては越前から木地師が多く移り住み、ろくろで木を削り山中漆器の隆盛に大きく貢献しました。
当時の先進技術者の集団であった真砂ですが、江戸時代中期には職人たちは山中温泉に移り、真砂ではしゃもじや山中漆器の木地を造っていました。
このろくろの技術が山中漆器の発展や郷土の偉人新家熊吉氏の木製リム製造にもいかされます。
加賀青年会議所のページからお借りしました
山中温泉から20km奥の真砂(まなご)は今では家もまばらで過疎地となっていますが、かつては越前から木地師が多く移り住み、ろくろで木を削り山中漆器の隆盛に大きく貢献しました。
当時の先進技術者の集団であった真砂ですが、江戸時代中期には職人たちは山中温泉に移り、真砂ではしゃもじや山中漆器の木地を造っていました。
このろくろの技術が山中漆器の発展や郷土の偉人新家熊吉氏の木製リム製造にもいかされます。
加賀青年会議所のページからお借りしました
加賀郷土かるたの 「へ」 の札です
この地を訪れた私のホンダXL50Sのリムには ARAYA の刻印があります
加賀市の基幹産業であるオートバイ用リム製造の原点を
今は無人の僻地にあったとは・・・!!